●義援金・救援金の募集について
西城さとやま交流館の東日本大震災の支援活動はまだまだ続きます。
皆様の気持ちを被災地に届けたいと思います。
どうかこれからもご支援をお願いします。
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2025年4月20日日曜日

あなたの笑顔が見たい

 今回の東北&能登は、いわき市の新川をきれいにする会の長谷川副会長さんからの震災翌年2012年から続く草刈花植え交流会のお招きを受け、交流の大切さ、交流するだけでも人を元気にすることができると言うことを思い出させていただきました。
 また、関西在住のさとやま交流館の支援者の一人で、津軽三味線奏者の川本高虎さんより、同行協力についてぜひ能登の支援協力させてほしいと快く了解を頂きました。
 1月から3ヶ月次の支援内容を考えてきましたが、今回は、皆さんに少しでも楽しんでワイワイしながら聞いてもらったり、笑ってもらったりするために、輪島市の仮設住宅にて、津軽三味線のコンサートを開催することにしました。仮設の部屋から出て、普段あまり見聞きしないが、聞いたことはある津軽三味線。きっと喜んで頂けると思っています。
 さとやま交流館のメンバーは、飲み物やお菓子の準備、皆さん同士のコミュニケーションのお手伝い、そしてもしかしたらラストで被災された皆さんに笑顔にする秘密の三味線との共演種目も老体に鞭打ち練習開始します。
 輪島の皆様、広島の田植えが済む6月1日まで、もうしばらくお待ち下さい。

次の東北&能登支援決定

 昨年12月の新米、今年1月の防寒着支援のあと、何もできず次は?次は?と聞かれても、何が出来るだろうと苦悩の日々。
 柳生さんが存命なら、即怒られている。体一つで行きゃあっええんよと。
 でもやっと全国のさとやま交流館の支援者の後押しで次の活動が決まりました。

 次は、
5月30日 午後三次出発。
5月31日 福島県いわき市新川にて草刈花植え交流
6月1日 石川県輪島市マリンタウン第2仮設住宅にて、もみじ饅頭を食べながら津軽三味線コンサート
6月2日 帰路
詳細は続報にて

2025年4月14日月曜日

熊本地震前震から9年

 1月2月の大雪の後は、田んぼの準備に時間を取られて、早1ヶ月が過ぎてしまいました。
 今日は、熊本地震の前震から9年の日。
 熊本地震は、9年前の平成28年4月14日21時26分熊本地方を震源にM6.5益城町で最大震度7の大地震が発生。大きな被害が発生する中、翌々日の4月16日午前1時25分、同じ熊本地方で、M7.3、西原村と益城町で震度7を観測。
 14日の地震を前震、16日の地震を本震とされた。
 関連死を含め、277名の尊い命が失われ、18万人を越す人々が避難を余儀なくされた。
 熊本では、4月中旬以降はどんどん暑くなり、冷房のない避難所である体育館は、蒸し暑くて、自家用車へ避難する人も多く、エコノミー症候群への心配もされた。
 いつ災害が起こるかわかりません。もしおきたら、こうしようああしようと、日頃からの心構えが大切です。

2025年3月11日火曜日

100%の安全はない。まず避難!

 震災後、海岸には、高い高い防波堤が各地にできた。内陸部から海が見えなくなった所も多い。
 この高い防波堤があればもう大丈夫。いや、待って。
 これまでも、この基準なら大丈夫と言う事で、堤防や橋、建物が作られて来ましたが、いつもそれを上回る災害が発生しています。
 震災対策工事が完了していても、地震や災害が起きたらまず避難!
 まず避難。忘れまい!
 

あの日から14年

 平成23年3月11日14時16分宮城県牡鹿半島130km沖合で、マグニチュード9.0の地震が発生。東日本の広域で、宮城県の震度7、東北地方で震度6強、東京や横浜でも震度5強となった。さらに、波高10m以上の巨大な津波が、太平洋沿岸を襲った。岩手、宮城、福島の東北3県を中心に大きな被害となった。
 震災後の3月、広島県北から、支援をスタート。昨年33回目の訪問をした。
 津波被災地では、元の場所には住めなくなり、住民の皆さんが今もバラバラに暮らされている地域も多い。我々が、訪問する時に、仮設住宅の同窓会のように集まって、皆さん同士で話をされている。そんな集まれるきっかけにでもなれたら、良いと思っている。
 福島第一原発による被害は、これまでとは違う被災だと感じました。いまだに、帰れる土地があっても、帰っていない地域がある。一方で、最近どんどん人が増えているように感ずる地域もある。でもまだまだ被災前には及ばないが。
 国道6号が通れるようになり、常磐道が通れるようになり、そして常磐線が仙台まで繋がり、利便性が高まっている感もある。
 でもまだまだ国道6号沿いは、寂しい風景も多い。
 除染土の県外処分も、全く進展せず、被災地だけの問題ではないのに、世の中の関心があまりにも低くなっていると嘆くばかり。
 嘆くばかりでは、何とら変わらない。
 今年も東北を,訪問します。できたら、岩手,宮城、福島3県を訪ねたいと思う。
 昨年は、能登半島地震の被災者のために、福島からも、支援物資を預かった。
 能登半島の皆さんには、まだまだ支援と手が必要です。
 心の元気を取り戻してもらうために、さとやま交流館は,走ります。
 みなさんの積極的なご意見などよろしくお願いします。

2025年2月8日土曜日

奥備後も雪景色

広島県と島根県、鳥取県の県境は1m超え。災害支援用ハイエースが置いてある奥備後 庄原市口和町でも、久々の60cm超え。ハイエースも,雪だるまに。
能登の被災地では、仮設住まいの中で、雪かきが必要になり、寒さも一層厳しくなり大変だと思います。次の支援は,どういうことができるか,検討中です。前柳生理事長に叱られそうです。考えとるばっかりじゃあダメじゃ。すぐに動けと。

2025年1月27日月曜日

さとやま支援米スタート

今年も、コメ作りの始まりです。
また、秋には能登へ持って行きます。さとやま交流米。奥備後の郷で寒風の中、荒起こしです。10日に降った雪が,やっと消え、晴れ間も見える。栄養たっぷり口和のモーモー堆肥をすき込み、土づくり。秋には美味しいコシヒカリを能登に持っていけますように。

2025年1月19日日曜日

あなたの笑顔が見たい

 1月17日中国新聞。
 さとやま交流館の活動が掲載されました。

阪神大震災から30年 その9

 高齢者施設のリスク
 高齢者福祉村のような高齢者対応のいろんな建物が、敷地内に集められた場所のシルバーマンションたるところに行った。水配りや何でも屋である。
 先ずマンションの入り口で地盤沈下のため、周りが下がって50cmくらいの段差。この段差がかなりひどく。元気な我々でも、よっこらしょである。
 高層マンションは、元気な高齢者ばかりで、普段はエレベーターがあり快適らしい。しかし、神戸と言う大都会直下でほとんど全てのエレベーターを強い揺れに遭い、ほとんどのエレベーターが点検するまで動かない事になっていた。私が行ったシルバーマンションは、点検優先度が低かったのか、未だに未点検、動かずです。
 普段は便利なエレベーターですが、地震にはものすごく弱い。
 低層の建物には、介護の必要な方が入る特別擁護老人ホーム。ここは、それなりに,介護士さんたちにより、なんとかなっているようだった。
 普通の高層マンションなら,まだ近所の若い人が、少しは助けてくれるかも知れないが、老人マンションでは、隣も高齢者。助け合うにも限界が。
 効率化も、普段は良いが、危機管理事象の時には、大きな足枷となる。1パーセントにも満たない、危機管理事象をどれだけ意識して、住まいを選択するか、行政も計画するか。
 ただ、その1パーセント以下の事象が起きた時、大きな後悔を感ずるのではなかろうか。
 大都市一極集中と大災害の問題は、地震でも、大雨でも語られています。効率良いコンパクトな町が被災したら、誰が助けてくれるのか,考えてほしい。

阪神大震災から30年 その8

 震災がら3週間が過ぎていたが、コンビニの中は、空っぽだった。道路がとおれず、災害支援などの車を通すために、その他の車を規制していたので、配送ができなかったのか。買おうにも店に無いから、やはり支援物資を配布するボランティア頼みだった。