能登半島から帰ったら、さっそく令和8年米の準備スタート。
12月13日師走の寒空の下、奥備後で、来年の田植えにむけて、荒起こし。藁と交換で、先月蒔いた堆肥とミネラル肥料をすき込みながら、土に空気を入れていきます。来年4月には、程よい天然の肥料成分が土に溶け込み、田植え後の稲を育ててくれるベッドになります。
キャビンもないトラクターは寒風直撃。我慢我慢の運転だ。
来年もたくさん美味しいお米が収穫できますように。
700m2分(この田んぼの約1/3)は、被災地に持って行けたらと思います。
能登半島から帰ったら、さっそく令和8年米の準備スタート。
12月13日師走の寒空の下、奥備後で、来年の田植えにむけて、荒起こし。藁と交換で、先月蒔いた堆肥とミネラル肥料をすき込みながら、土に空気を入れていきます。来年4月には、程よい天然の肥料成分が土に溶け込み、田植え後の稲を育ててくれるベッドになります。
キャビンもないトラクターは寒風直撃。我慢我慢の運転だ。
来年もたくさん美味しいお米が収穫できますように。
700m2分(この田んぼの約1/3)は、被災地に持って行けたらと思います。
能登半島名産のひゃくまん穀
甘くて美味しいお米です。冷めてもおいしくて弁当には,最適。炊いたらよくわかりますが、粒が大きい。
昨年9月の能登半島豪雨で、田畑に土砂が流れ込み、1月の地震に続き、大きな被害を受けた能登半島。さとやま交流館有志で行った稲刈りボランティア。この時、暑い中、手刈りしたのが、この「ひゃくまん穀」。
去年は食べれなかったが、今年は買って帰りました。うまいです。ひゃくまん穀。
ぜひ、みなさんご賞味あれ。
12月8日午前0時30分 1泊4日となった今回の支援活動も無事完了。みよしまちづくりセンターに帰ってきました。
広島からの4人は疲れはあるもののみな満足げです。
次回をどうするか、次回は、5月末の東北いわきの草刈り交流の帰路で,輪島に寄ろうと。
次回は、交流サロンメインで、交流サロンのみにしようかと。今年の6月1日のライブの時も16時30分スタートくらいだったので、16時30分〜18時00分の90分ほど。もみじ饅頭をいっぱい持って行こう。
そんなことを解散前に話しながら、今回さとやま交流館の9回目の能登半島地震支配者支援活動を終了します。
今回の活動に際し、様々な物資や激励の言葉など物心両面から応援してくださった皆様、ありがとうございました。皆様の心は、能登の皆様に間違いなく伝わっております。
引き続き,さとやま交流館の活動へのご理解、ご協力をよろしくお願いします。
12月7日16時00分小松駅。
今回、初めて参加してくれた松永さんとここでお別れ。
松永さんは、広島県から氷見市へ災害応援派遣中。初めてさとやま交流館の活動への参加でした。今後も協力したいと心強い申し出があり、嬉しい限りです。彼は、地理にとても詳しく、車のナビよりわかりやすく、いろんな情報が付加されて、道案内してけれて、道中が充実楽しいものになりました。スーパーナビ松永。
小松から氷見までは、結構遠いが、ここから帰ってもらいました。
また次回以降もよろしく!
その後、8号バイパスを南進。17時30分、加賀市のドライブイン富士にて、早めの夕食。
山盛りのもつ鍋を満喫。ご飯とセットの奴もうまかった。鍋も美味かった。次回は、もつ鍋一人前と焼肉一人前を二人で食べると良いみたい。
旅の終わりは、最高の温泉で、体を癒す。
小松市粟津温泉 法師
昨年の能登半島地震発生直後から、被災者がヘリコプターで自衛隊小松基地へ運ばれる中、次々と避難者を旅館で受け入れた。さとやま交流館は、東日本大震災の東北支援活動の時から、法師さんで、帰りに寄らせていただき、汗を流させていただいていました。その縁もあり、法師さんの被災状況を地震直後に電話で聞いたところ、輪島や珠洲から被災者の方が、たくさん法師に避難されて来ていると聞いた。着の身着のままの方々には、防寒着などや諸手続きに必要な文房具セットなど、1月20日、2月17日、4月20日と法師へ持っていった。その時の縁で、当時避難されていた輪島市深見町の皆さんを中心に今も支援しています。
今回は、去年の12月の帰路で寄って以来、一年ぶりに、去年1月から被災者支援をされていた法師さんで、ゆっくり汗を流させてもらいました。帰りには女将さんと山佐支配人さんの丁重なるお見送りをしていただきました。感謝、感動です。
また来年も来ますよ。
よろしく、お願いします。
12月7日 友との再会。
13時。松任市の道の駅『めぐみ白山』。
昨年、9月の能登半島豪雨支援の稲刈りボランティアで知り合った石川県庁の島袋さん。去年10月以来、能登訪問の度に、忙しい中,駆けつけてくださっています。10月、12月、1月、6月そして今回、もう5回目だ。
石川県と現状を色々教えていただきました。
今年の1月までは,輪島での宿泊がなかなかできず、日帰りで広島に帰っていたが,今年6月から輪島市の朝市通りの川の左岸の『民宿 寅さん』にお世話になっている。今回、2回目の宿泊。女将さんと大将(息子さん)で、頑張っておられる。
前回、6月の時に比べて、お二人とも元気になられており、安心した。夕食も美味しく、石川県特産の『ひやくまん穀(ゴク)』の新米ごはんは甘くて美味しく、4杯食べた者もいた。
夜は気持ちいい布団に入るなり、みんなぐっすり催眠。広島からの強硬軍の疲れも取れました。
朝食もおいしかった。白味噌仕立ての味噌汁も美味しく朝から大盛り3杯食べるものもいた。
12月7日時過ぎ、寅さん親子とお別れの1ショット。また次回来る時も泊まりたいと思うこの頃である。
民宿 寅さん 復活です。
ぜひ、観光でのお客さんに早く帰ってきて欲しいものです。観光も大歓迎ですよ。
また来ますよ〜。お元気で。
能登半島で最も有名な世界遺産 白米千枚田
海に向かって左側の地元で管理されているエリアは早くから復旧してきているが、右側の全国のオーナーが管理されているエリアは、まだまだ復旧が進んでいないのか。畔の被災箇所がまだまだ残っているようだ。
能登の重要な観光資源であり、生活に直結はしていないかもしれないが、県外や外国からの観光客の受け皿であり、間接的には、能登の産業の復興には欠かせない。
早い復興に向けて全国のオーナーさん頑張って欲しい。
最後の片付けまで手伝って頂いた方々と。
お米200袋中170袋をこの仮設集会所で、直接配布しました。一戸一袋としていたので、少なくとも170名の方が来られた。夫婦で来られた方も多く見られたので、250名を超す方々が来られたのだと思います。ブルーベリーケーキが80個、もみじ饅頭が100個ほど用意していましたが、足りないとは思っていませんでした。
今回の活動内容は、これから、書き足して行きますので、見たところも再度見ると内容が濃くなっているところもありますので、是非読んでください。
広島に帰ったので、体をたちまち休めます。
懐かしい顔に再開。輪島のうるし塗り床柱ができる漆塗り大工さん。地震直後の粟津温泉への二次避難の時に初の出会い。以来、私らは輪島市まで追っかけてきましたよ。気に入った防寒着もあって良かったです。
嬉しい笑顔に出会い、元気をもらいました。
大きな波が去ったあとは、ゆっくりお茶を飲みながら、輪島の被災者でありながら、我々の活動を現地で支えて頂いている山下さんご夫妻、亀井さんご夫妻、そして、山原さんご夫妻とお父さんなど。粟津温泉法師や緑華苑に避難されていた時から、色々調整などお世話になりました。
今回もテーブル配置や物資並べ、ケーキ切りやお茶の準備など休みなしに手伝ってもらいました。
被災直後のヘリコプターでの避難の話や現在も自宅は電気が通っておらず、帰ることができないこと、いろんなお話ができました。
さとやま交流サロンは正解でした。