●義援金・救援金の募集について
西城さとやま交流館の東日本大震災の支援活動はまだまだ続きます。
皆様の気持ちを被災地に届けたいと思います。
どうかこれからもご支援をお願いします。
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2026年3月12日木曜日

F1 東電福島第一原発

東日本の太平洋沿岸部には首都圏の電力を賄う原子力発電所が多く立地。震災後、それぞれの原発で、緊急事態が発生。中でも、福島第一原発では、冷却のための電源喪失、炉心が溶け出て水素爆発。1号機から6号機まである巨大な発電所(469万kw。計画ではさらに7号機8号機の計画もあった)。
 原子炉を6基を持つこの原発は、一時は世界最大の原発と言われたこともあるようだ。
 ちなみに、中国地方で一つしかない島根原発は、原子炉2基(128万kw)。島根原発では、今でも稼働に対する心配は、周辺地域に根強い。
 メルトダウンにより、多くの放射能が飛散。双葉郡をはじめ周辺のたくさんの方が、避難されることとなった。
 15年経った今も、帰還困難区域が残り、除染作業で出た、汚染土は、福島第一原発の周りを囲むように広大な中間処理施設が。
 これは、現地でも説明を受けましたが、県外処分が決まっているがまだうけいれさきが決まっていないのだ。いま、原発の再稼働があちこちで始まっているが、事故以外の通常の,汚物処理も何もまだ決まっていない。次世代へのただの先送りだと言うことだ。
この現実にもっとスポットを当てる必要があると思う。若い人ももっと声を出すべきでは。
 ちなみに今日ニュースで東電の人が言っていたが,第一原発の燃料デブリの取り出しは、15年か20年先からやっとはじめられるだろうと言っていた。

2026年3月11日水曜日

ある卒業生たちの歌

 今、ある合唱歌を練習している。

 「群青」

 この歌は、平成25年三月、地震、津波、原発事故で大きな被害を受けた南相馬市の卒業生と先生たちが、震災から2年後の今の気持ちを込めて自分らの卒業式のために作った歌です。 
 当時の情景に思いを抱いてください。
 歌うたびに涙が出ます。

「ああ あの町で生まれて
君と出会い
たくさんの思い抱いて
一緒に時間(とき)を過ごしたね
今 旅立つ日
見える景色は違っても
遠い場所で 君も同じ空
きっと見上げてるはず

「またね」と 手を振るけど
明日も会えるのかな
遠ざかる君の笑顔 今でも忘れない

あの日見た夕日 あの日見た花火
いつでも君がいたね
あたりまえが 幸せと知った
自転車をこいで 君と行った海
鮮やかな記憶が
目を閉じれば 群青に染まる

あれから2年の日が
僕らの中を過ぎて
3月の風に吹かれ 君を今でも思う

響け この歌声
響け 遠くまでも
あの空の彼方へも
大切な すべてに届け
涙のあとにも 見上げた夜空に
希望が光ってるよ
僕らを待つ 群青の町で

きっと また会おう
あの町で会おう
僕らの約束は
消えはしない 群青の絆

また 会おう 群青の町で・・・」

「群青」

YouTubeなどでたくさん聞くことができます。
ぜひきいてみてきださい。

15年が過ぎて

 2011年3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の沖合130km、深さ24kmを震源にM9.0の地震が東北3県を中心に東日本全体を襲った。震度7.さらに関東から東北の広い範囲に、津波が来襲。高さは10m以上遡上高さ40m以上の、未だ悲しみの消えぬ、そして生活ままだ想像を絶する大津波に、街全体がの見込まれた。多くのかけがえのない家族の命が奪われた。
 この悲しみは、15年経っても変わらない。
 被災地が未だ悲しみ消えぬこと、そして未だに、元の生活には戻っていないことを、日本中の人に感じ取ってほしい。
 私達は、今年も5月29日から、東北へ出発します。
 現地は、被災後から、大きく復旧したように見えるところもあれば、浪江町や双葉町など、まだ、被災後何も変わっていない無人地域もあります。
 どこも被災前より大きく人口減少。日本の減少速度より、減少率は遥かに高い。人口減少だからと流しては行けない。
 せめて、今日は一日、震災を思い起こす日にしよう。

2026年2月5日木曜日

おめでとう EGGさん 国際交流奨励賞受賞

 三次のEGG草の根国際交流会さんが、国際交流奨励賞を受賞されました。おめでとうございます。
 EGGさんは、災害被災地支援でこれまでも、さとやま交流館の活動にもたくさんのご協力していただいています。
 一昨年の能登半島地震の時にも、会に集う世界各国の皆様から多大なる支援物資や支援金を預かり、活動を後押ししていただいています。
 これまでの地道で継続的な素晴らしい活動に敬服します。
 今回の受賞、誠におめでとうございます。

2026年1月17日土曜日

阪神・淡路大震災から31年

今日、2026年1月17日

 1995年1月17日(火)午前5時46分兵庫県南部、淡路島北部を震源としたM7.3、初めて最大震度7となった兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生した。都市部で平日の日の出前の早朝に起きた。
 大都会で起きた地震は、建物の倒壊、火災、停電、断水、ガス停止、エレベーターの故障、地下鉄の陥没、ビルの倒壊、高層ビルの損壊、そして高速道路の倒壊、被害は広範囲で甚大でした。
 あれから31年。寒い1月。避難所の体育館はもちろん、学校の教室や廊下にもいっぱい避難されていた様子は、忘れることはできない。
 その後、東日本大震災、熊本地震、そして能登半島地震と大きな地震は、30年間で何度も起きています。 
 中国地方でも、安芸灘地震、鳥取西部地震、そして先日の島根県東部地震などたくさん起きています。
 地震は、いつ、どこで起きるかわかりません。自宅で電気がなくても水道から水が出なくても、ガスが出なくてもしばらくは生活出来る備えをしておきたい。

2026年1月14日水曜日

能登の報道

2026年1月13日 中国新聞に、さとやま交流館の活動が掲載されました。

12月5日〜12月7日の9回目の能登半島地震被災地支援活動の同行記。

さとやま交流館の始まりから今回の活動までを上手にまとめて、能登の現状を伝えていただきました。

客観的な現状の報告ですので、是非少しでも被災地に心を寄せていただけたらと思います。

2026年1月6日火曜日

令和8年のお正月

令和8年、無事新年を迎えたと思っておりました。
1月6日10時18分島根県東部を激震が襲った。緊急地震速報が,かなり長い間鳴り響いた。震度5強。強い地震だ。さとやま交流館の本拠地庄原も震度4。中国地方はもちろん四国香川県や愛媛県でも震度4。東は、長野県諏訪湖、西は佐賀県や長崎まで揺れた。
地震はいつどこで起きるかわからない。
大きな被害がないことを。
そして日頃から、こまめな燃料満タンや保存のできる食品の備蓄、そして携帯トイレの準備も平時のうちにしておこう。我々も能登半島地震の被災地支援で、自分らのために準備した。次は自分が被災することも考えて準備しよう。

2025年12月17日水曜日

八十八の作業の一つ荒おこしスタート 美味しい令和8年米のために

 能登半島から帰ったら、さっそく令和8年米の準備スタート。

 12月13日師走の寒空の下、奥備後で、来年の田植えにむけて、荒起こし。藁と交換で、先月蒔いた堆肥とミネラル肥料をすき込みながら、土に空気を入れていきます。来年4月には、程よい天然の肥料成分が土に溶け込み、田植え後の稲を育ててくれるベッドになります。

 キャビンもないトラクターは寒風直撃。我慢我慢の運転だ。

 来年もたくさん美味しいお米が収穫できますように。

 700m2分(この田んぼの約1/3)は、被災地に持って行けたらと思います。

2025年12月14日日曜日

石川県発祥のお米 ひゃくまん穀

 能登半島名産のひゃくまん穀

 甘くて美味しいお米です。冷めてもおいしくて弁当には,最適。炊いたらよくわかりますが、粒が大きい。

 昨年9月の能登半島豪雨で、田畑に土砂が流れ込み、1月の地震に続き、大きな被害を受けた能登半島。さとやま交流館有志で行った稲刈りボランティア。この時、暑い中、手刈りしたのが、この「ひゃくまん穀」。

 去年は食べれなかったが、今年は買って帰りました。うまいです。ひゃくまん穀。

 ぜひ、みなさんご賞味あれ。

2025年12月9日火曜日

支援活動無事帰着

 12月8日午前0時30分 1泊4日となった今回の支援活動も無事完了。みよしまちづくりセンターに帰ってきました。

 広島からの4人は疲れはあるもののみな満足げです。

 次回をどうするか、次回は、5月末の東北いわきの草刈り交流の帰路で,輪島に寄ろうと。

 次回は、交流サロンメインで、交流サロンのみにしようかと。今年の6月1日のライブの時も16時30分スタートくらいだったので、16時30分〜18時00分の90分ほど。もみじ饅頭をいっぱい持って行こう。

 そんなことを解散前に話しながら、今回さとやま交流館の9回目の能登半島地震支配者支援活動を終了します。

 今回の活動に際し、様々な物資や激励の言葉など物心両面から応援してくださった皆様、ありがとうございました。皆様の心は、能登の皆様に間違いなく伝わっております。

 引き続き,さとやま交流館の活動へのご理解、ご協力をよろしくお願いします。