●義援金・救援金の募集について
西城さとやま交流館の東日本大震災の支援活動はまだまだ続きます。
皆様の気持ちを被災地に届けたいと思います。
どうかこれからもご支援をお願いします。
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2026年5月29日金曜日

三次を出発

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5月29日15時10分、三次を出発しました。天気良好。  今回のメンバーは、さとやま交流館部谷さん、大前さん、中野さん、三竿さん,盛谷さんの5名が、通常の高速道路コースで参加。今夜は、交代運転で、福島県いわき市まで、約1200km走ります。  余裕を持った安全な速度で、安全第一で行ってきます。  福島県のみなさん、石川県のみなさん明日と明後日、それぞれおじゃまします。  よろしくお願い。

あなたの笑顔が見たい

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今回もたくさんの応援物資をいただきました。 いつもご支援いただいている藤本さんから、フルーツゼリー120個。庄原銘菓 乳団子100個も用意しました。これらは、まだ仮設住宅で避難生活が続く輪島の皆さんと開催する31日の茶話会で、食べてもらいます。もちろんもみじ饅頭とブルーベリーケーキも輪島にもたくさん持って行きます。 能登は、令和6年1月の発災直後の1月から数えて10回目になりました。 仮設には、10回毎回お会いしている方も大勢おられ、今回の再会も楽しみです。今回は,さらにこれからの食中毒シーズンを前に、携帯式の消毒剤を300組ほど持って行きます。 多くの方からご支援を頂きました。 広島の藤本様、有井様、庄原の福間様ありがとうございました。皆様の気持ちが被災者の方の元気に繋がるように、活動してきます。

あなたの笑顔が見たい

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いよいよ出発します。 数えると15年前と大震災直後の3月から、35回目。15年も続いている東北の皆さんとの交流。 今回は初めて、車だけでなく、飛行機やJRでの移動組みを合わせて10名の訪問団が、福島を訪ねます。 JR組は、すでに出発。飛行機組が、今朝8時出発。そして、主力のハイエース組が、15時に三次を出発します。 昨日、宮島のやまだ屋から大きなもみじ饅頭の箱が到着。宅急便のお兄さんが、重い重いと大汗で玄関まで。 さらにさとやま交流館特製のブルーベリーケーキも届きました。 東北と翌日主力組が訪問する能登輪島の皆さんに食べていただきます。

2026年5月22日金曜日

あなたの笑顔が見たい 来週出発

いよいよ5月29日来週東北と能登に向けて出発です。  5月29日三次出発  5月30日09:00〜福島県いわき市新川にて、NPOふるさと新川をきれいにする会との震災翌年の2012年から続くさとやま交流館との合同草刈花植え。か今回は、車で行く5人に、飛行機で仙台経由で参加する女性4名。さらにJRで三次から参加の女性1名の合計10名が広島さとやま交流館から参加します。震災から15年、今回東北支援から続く活動は35回目。賑やかに交流ができそうです。  福島県の皆様、よろしくお願いします。  5月31日朝07:00いわき市出発    16:00石川県輪島市マリンタウン仮設住宅に到着    16:30〜仮設の皆さんとお茶とケーキにもみじ饅頭で茶話会交流。  昨年12月以来、約半年ぶりの再会。能登半島地震の支援活動も今回でちょうど10回目。できることをやってきた。被災者の方にとっては、まだまだ足りない物や困り事ばかり。全国に皆さんで少しずつ応援ができたら良いなと思います。だって他人事ではないんですよ。自分がいつ大きな被災に遭うかわからない。世界中どこにも絶対安全と言う場所はない。他人の痛みはわからないと言えども、自分が痛みを感じる前に、少し早めに痛みを少しでも想像できるようになれば、世の中は少しは変わるかもしれない。持っと住み良い国に。 あなたの笑顔が見たい

2026年4月14日火曜日

東北草刈花植え交流&能登交流会

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 いよいよ今年も出発します。  東日本大震災から15年続く交流と能登半島地震で未だに仮設生活を強いられておられる被災者の皆さんと今回は、お茶と東北や広島のケーキや饅頭を食べながら交流する茶話会をします。  東北は、35回目、能登は、10回目の節目となります。  メンバー募集中です。  今回は,広島から飛行機で仙台に行くチームもあり、福島では、広島から総勢10名くらいになりそうで楽しみです。  福島の皆さん、輪島の皆さんにはまたお世話になります。  よろしくお願いします。    

蘇れ、「火の国」熊本

10年前の今日、2016年4月13日21時26分震度7の大地震が発生。二日後の16日にも再度震度7の大地震。熊本城や阿蘇神社など、そして多くの住家で大きな被害が発生。学校や公共施設へたくさんの被災者が避難。発生が夜でもあり、寒い避難。  さとやま交流館は理事長がすぐに現地入り。家々が倒れた光景に涙した。現地の西原村と調整し、5月21日に柳生理事長の「蘇れ火の国熊本」の大号令の元、三次から13名炊き出しに出動した。  21日西原村山西小学校に到着。土曜の夕食のたきだし。300食の広島牛の牛丼。 広島牛肉、玉ねぎ、にんじんなどもたくさん具材をきり、ご飯も広島のコシヒカリ。6升だき炊飯器や大鍋で。良い香りに、体育館から、様子を見に外に出て来られる方もだんだんと多くなり,自然と会話がすすんだ。  18時頃から配膳開始。5月の熊本は、もう結構暑く、暑い牛丼はどうかなと思いましたが、思わぬ好評。肉も美味しく,野菜が一杯、汁だくの田舎の牛丼が、みなさんの胃を満足させてくれたようです。昼は、弁当ばかりとのことで、汁物がなく、汁たくさんが嬉しいし、野菜がなかなか食べれないようで、肉よりも野菜が人気なほどだった。  暑い牛丼で少し汗をかいてその後がかえって涼しい面もあったようです。  翌日は、西原中学校で同じように牛丼炊き出しして、一旦広島に帰った。その後も、仮設住宅が出来てからも何度か西原村を訪問した。その時のご縁は今も大切にしている。  地震はいつ来るかわかりません。さむいときもあれば、暑い時もある。  これから暑い夏がやってきますが、夏の避難も少し頭に入れておきたい。

2026年3月16日月曜日

2026年3月12日木曜日

F1 東電福島第一原発

東日本の太平洋沿岸部には首都圏の電力を賄う原子力発電所が多く立地。震災後、それぞれの原発で、緊急事態が発生。中でも、福島第一原発では、冷却のための電源喪失、炉心が溶け出て水素爆発。1号機から6号機まである巨大な発電所(469万kw。計画ではさらに7号機8号機の計画もあった)。
 原子炉を6基を持つこの原発は、一時は世界最大の原発と言われたこともあるようだ。
 ちなみに、中国地方で一つしかない島根原発は、原子炉2基(128万kw)。島根原発では、今でも稼働に対する心配は、周辺地域に根強い。
 メルトダウンにより、多くの放射能が飛散。双葉郡をはじめ周辺のたくさんの方が、避難されることとなった。
 15年経った今も、帰還困難区域が残り、除染作業で出た、汚染土は、福島第一原発の周りを囲むように広大な中間処理施設が。
 これは、現地でも説明を受けましたが、県外処分が決まっているがまだうけいれさきが決まっていないのだ。いま、原発の再稼働があちこちで始まっているが、事故以外の通常の,汚物処理も何もまだ決まっていない。次世代へのただの先送りだと言うことだ。
この現実にもっとスポットを当てる必要があると思う。若い人ももっと声を出すべきでは。
 ちなみに今日ニュースで東電の人が言っていたが,第一原発の燃料デブリの取り出しは、15年か20年先からやっとはじめられるだろうと言っていた。

2026年3月11日水曜日

ある卒業生たちの歌

 今、ある合唱歌を練習している。

 「群青」

 この歌は、平成25年三月、地震、津波、原発事故で大きな被害を受けた南相馬市の卒業生と先生たちが、震災から2年後の今の気持ちを込めて自分らの卒業式のために作った歌です。 
 当時の情景に思いを抱いてください。
 歌うたびに涙が出ます。

「ああ あの町で生まれて
君と出会い
たくさんの思い抱いて
一緒に時間(とき)を過ごしたね
今 旅立つ日
見える景色は違っても
遠い場所で 君も同じ空
きっと見上げてるはず

「またね」と 手を振るけど
明日も会えるのかな
遠ざかる君の笑顔 今でも忘れない

あの日見た夕日 あの日見た花火
いつでも君がいたね
あたりまえが 幸せと知った
自転車をこいで 君と行った海
鮮やかな記憶が
目を閉じれば 群青に染まる

あれから2年の日が
僕らの中を過ぎて
3月の風に吹かれ 君を今でも思う

響け この歌声
響け 遠くまでも
あの空の彼方へも
大切な すべてに届け
涙のあとにも 見上げた夜空に
希望が光ってるよ
僕らを待つ 群青の町で

きっと また会おう
あの町で会おう
僕らの約束は
消えはしない 群青の絆

また 会おう 群青の町で・・・」

「群青」

YouTubeなどでたくさん聞くことができます。
ぜひきいてみてきださい。

15年が過ぎて

 2011年3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の沖合130km、深さ24kmを震源にM9.0の地震が東北3県を中心に東日本全体を襲った。震度7.さらに関東から東北の広い範囲に、津波が来襲。高さは10m以上遡上高さ40m以上の、未だ悲しみの消えぬ、そして生活ままだ想像を絶する大津波に、街全体がの見込まれた。多くのかけがえのない家族の命が奪われた。
 この悲しみは、15年経っても変わらない。
 被災地が未だ悲しみ消えぬこと、そして未だに、元の生活には戻っていないことを、日本中の人に感じ取ってほしい。
 私達は、今年も5月29日から、東北へ出発します。
 現地は、被災後から、大きく復旧したように見えるところもあれば、浪江町や双葉町など、まだ、被災後何も変わっていない無人地域もあります。
 どこも被災前より大きく人口減少。日本の減少速度より、減少率は遥かに高い。人口減少だからと流しては行けない。
 せめて、今日は一日、震災を思い起こす日にしよう。