●義援金・救援金の募集について
西城さとやま交流館の東日本大震災の支援活動はまだまだ続きます。
皆様の気持ちを被災地に届けたいと思います。
どうかこれからもご支援をお願いします。
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2024年1月6日土曜日

心は能登にあり

 心は能登にあり

 毎日、テレビやラジオから伝わる能登の状況に、すぐに行って何か少しでも出来たらと思う日々。
 でも、今行っても、邪魔になってはいけないと言うもう一つの心の声。
 もうすぐ行きます。
 柳生前理事長の大切な教え。
 「考えていたら、何もできん。」
 「思いついたら、即実行。」
 「(実行は)行き当たりばったり。」

 29年前、あれも1月。神戸でもそうだった。ただ寝袋と自分の食料のみ背負って、即神戸入り。まだ携帯電話は普及しておらず、緑の公衆電話は長蛇の列。持って行ったアマチュア無線機が活躍。毎日、避難所の運営、炊き出し、シルバーマンションの各階への水の運搬。夜は、余震に震えた。2週間の活動で服が臭くなり、広島へ帰る時に、周りが気になったのを思い出す。
 13年前。3月。震災後すぐに、さとやま交流館独自に支援物資を集め、4tトラックへ三次の水道水1トン、布団や紙おむつ等満載し、柳生前理事長と運転手二人で、4日後の3月22日出発。まだボランティアが入っていなかった福島県いわき市の避難所へ走った。その後炊き出しなど広島から東北まで年内に5〜6回走った。全て即実行、行き当たりばったり。その後、交流を継続し、昨年5月には32回目の訪問をした。
 8年前、4月。熊本へ走った。テレビにはあまり出なかった益城町の東側の西原村へ。
 玉ねぎ、にんじんなど野菜一杯の広島牛丼の炊き出しが、想定以上の評価を頂き、アンコールももらった。ここも即実行、行き当たりばったり。
 9年前の広島土砂災害では、暑い真夏、発災翌日に被災地入り。ここでは、東北からの支援物資の中継ぎ、そして熱中症ギリギリの家の中の土砂だし。できることをやった。
 そして、今年の元旦。激震が能登半島を中心に襲った。
 強力なスーパーリーダー柳生前理事長亡き今、柳生さんから叩き込まれた被災地への愛は、メンバーの心に熱い火を灯してくれています。
 あなたの笑顔が見たい
 さとやま交流館は、広島 三次、庄原から能登半島へ走ります。
 皆様、ご協力をお願いします。

 不明なことは、匿名で結構ですから、コメントへお願いします。

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