ここにとっても澄んだ旨さの酒がある。 『今,楢葉町には心地良い風が吹いています。 ここに生きる人々の息吹が、爽やかな風となって金色に染まる絨毯を揺らします。 失いかけた原風景がそこにはあるのです。 生きることの喜びを、大いなる自然への感謝を。 私たちが作り出すこの「風」が、皆様にも心地良く吹きますように。』 清酒「楢葉の風」に書いてある挨拶が、梅雨のジメジメした空気を清々しい風に変えてくれるようだ。 いろんな復興があるが、地域の酒蔵で世界に一つの酵母たちが元気にうまい地酒を復活させるのは、大きな力になる。
2026年6月2日火曜日
無事三次へ帰着
6月1日23時30分 三次着。
北陸道ー舞鶴若狭道ー中国道と走り続け、広島県内に入った途端、雨が。初めはポツポツだったが、三次市内に入ったくらいで豪雨に。
23時30分無事駐車場所に到着。外は豪雨。急いで荷物を各自の車へ積むも,全員ビッショリ。
今回も、金曜日の15時から今まで3日と8時間、湯本児童クラブ、新川を綺麗にする会、海鮮吉田、楢葉中学校、楢葉総合グランド、天神岬スポーツ公園、塩屋崎灯台の馬目商店、つるや商店、いわきららミューのまるふと直売店、楢葉関係の皆様、わじましマリンタウン第二仮設住宅、民宿寅さん、白米千枚田、珠洲市の農地復活、石川県庁、粟津温泉法師とびっしり中身の濃い活動をしたなと強く感じます。
熱い思いを持つ同志5人。わずかな睡眠時間のみでも、誰も文句もなく、結果、我々も元気をもらった4日間でした。
福島県の皆さん、石川県の皆さんありがとうございました。
福島は来年、能登は12月に再訪したいと思います。
皆さんお元気で!
粟津温泉法師 善五郎襲名祝い
今回の活動では、最後にもう一つやることがある。
能登半島地震発生後、すぐに多くの被災者を受け入れ、さらにいち早く受け入れ期間の延長を申し出て、被災者支援に頑張られた、小松市粟津温泉の旅館法師。
開湯1300年。歴代法師善五郎が、守って来た湯。
昨年、若女将が、第47代法師善五郎を襲名された。
今回は、そのお祝いを言うと言う最後の目的が。
何故さとやま交流館が?そう思われるだろう。もちろん、能登半島地震で、多くの被災者の2次避難所として、行政の安い借り上げ料もきにせす頑張られたと言うのもある。ボランティアと言うのは、ボランティアを直接する人だけで成り立っているわけではない。その後ろで支えたり,力を与えてくれる方々がおられるから続けれるのだ。法師は、15年前の東日本大震災の時、東北の活動で疲れて帰る途中、たまたま寄ったさとやま交流館に、快く入浴をさせていただき、当時の先代第46代法師善五郎様から、丁重なお言葉もいただき、疲れが吹き飛んだのです。当時は,宿泊以外の日帰り入浴は、されていなかったのですが,当主の計らいで以降、ボランティアの帰路必ず寄って、お世話になった。ここで、次のまた頑張りの充電ができたのです。そんな法師には大きな恩があると言うことです。
お祝いと言っても、熨斗のついたもみじ饅頭と特製ブルーベリーケーキ。若女将でもあり、当主第47代善五郎様から,丁重なお礼の言葉。その後,今回も5人で入浴。1300年守られた健康の湯。金曜日からの4日間の疲れが吹き飛んだ。
帰りには、若女将特製の新酒をいただき,恐縮。さとやま交流館の報告会で披露しよう。
若女将、いや善五郎さんまた来ます。
今回もありがとうございました。
2026年6月1日月曜日
復興状況 2
帰路は、輪島から時計回りに珠洲市に行った。
一昨年10月大前さん、中野さん、盛谷さんが、能登半島豪雨のあと、手刈りによる稲刈りにきたところだ。その田んぼの横を通った。きれいに田植えがされていた。田んぼとして、復興していた。もし、荒廃していたら悲しかったが、ちゃんと田んぼとして、水が張られ、あおい苗がピンと立っている、よかった。稲刈りした甲斐もあったなと。
周りの田んぼ、特に国道の上側の当時は、完全に土砂がいっぱい溜まっていた田んぼが綺麗になって、田植えがされていた。去年はまだだったと思う。確実に少しずつだが復興は進んでいる。
能登の復興状況
6月1日(月)朝8:00 輪島市の民宿寅さんの女将さんと若大将にお礼を告げ、また来ますよと、出発。
まずは、世界遺産の白米千枚田の復興状況を確認に。田植えが、3分の2はされていただろうか。去年より倍以上植えられている。少しずつだが、ここも復興している。
そうだ、能登の復興は?と言うと
まずは能登さとやま海道。時速30kmす出せなかった高速道路が、かなり補修され、時速60km道路になっていたのには、感心した。まだまだ本復旧ではないが、走行性は格段に良くなっていた。
市内の状況は、解体が進んだな と言う感じだ。また新しい家は、まだあまり見ないなと言う感じ。でも壊れた家は、少なくなり、更地が増えた感じでした。
あなたの笑顔が見たい
5月31日15時15分、石川県輪島市マリンタウン第二仮設住宅第二集会所に到着。
今回は,お茶を飲んで皆さんでお話しをしてもらう会。特に変わったものではない。だからとても心配もあった。・・・誰も来てもらえないのでは・・・
地元の山下さんと亀井さん,山原さんらが、すでに会場設営済み。集会所の机を出せるだけ出して、椅子もたくさんきれいに並べられている。
こんなに人がきてくださるのだろうか。持って来たもみじ饅頭110個と乳団子100個、広島の藤本さんから託された125個のフルーツゼリー、福島県の皆さんから託された多くのスイーツ、庄原産のはぶ草茶を6リットルのポット二つに仕込み、さらにお茶のPETボトルを並べた。地元の方も、今日は人が少ないかもね と。
13時45分には、こんにちは と被災者の方々が。そしてなんとあっという間に、満席に。
ワイワイガヤガヤ。ああ良かった。
さらに、手前ミソかなと思いながらも,さとやま交流館が能登半島地震のあと、どのように活動したか、能登の皆さんとの二次避難先の小松市粟津温泉法師での出会いから、これまで9回の活動をスライドショーで、大型モニターに上映。
皆さんの反応が気になった・・・全て杞憂だった。
わあ、こんなかったよね。
あれは◯◯さんよ。
あんた、映っとるよ。(広島弁に翻訳)
わー、きゃー、ワイワイガヤガヤ
と、思わぬ盛り上がりにびっくりした。でも、皆さん笑顔で、とても楽しそうに、注目してみてくださった。
朝、6:30 輪島に向けて出発
2011年以来15年の大切な友
あれから15年。数えてみると35回目となる訪問。
2026年5月31日日曜日
桜 楢葉総合グラウンド お礼肥
桜 楢葉総合グラウンド お礼肥
5月30日14時30分。楢葉総合グラウンド。平成25年5月、広島の双葉の里に桜を植える会から寄贈を受けた広島被曝桜2世を3本、福島の早期の原発事故被害からの復興を願って植えた。 事務所に寄って、広島から・・と伝えると ああ広島の桜の方とすぐに好対応で、立入了解をえて、現地へ。 グランドが眼下に見える小高い丘の上。3本のうち一番上の桜は、去年よりまた大きくなっていた。あと二本は、まだまだだが、ちゃんと根付いています。施肥を周りの木にもしました。
桜 楢葉中学校 お礼肥
海鮮よしだ
5月30日12時45分、楢葉町の吉田さんのお店へ。常磐線竜田駅前の海鮮よしだ。 吉田さんは、震災後に、仮設住宅団地の中に、身近なお店と住民の触れ合える場を と仮設住宅団地の中に、初めて、仮設の商店くんちえ広場を開店。仮設があった長い期間お世話をされていた。当時も新鮮な魚や野菜などを取り扱われており、多くの被災者の憩いの場だった。 そんな吉田さんが、当時原発事故でまだ、常磐線の北端の駅竜田駅前に、海鮮吉田を新築オープン。昼のみで、海鮮丼が名物で、いまや地元の有名店に。ここで、楢葉の坂本さんと茨城から駆けつけて下さった坂本んのご両親と一緒に舌鼓。 刺身も最高ですが、アジのフライも最高!午前中の疲労が吹き飛びました。ご馳走様様でした。
汗だく! いわき新川をきれいにする会
いわき新川合同草刈花植え交流
あなたの笑顔が見たい 湯本児童クラブ
5月30日朝07:00草刈までまだ2時間。いわき市湯本の半澤先生から電話をいただき、急遽、児童クラブに子供達に会いに行くことに。 07:50 児童クラブで、半澤先生と再会。令和元年の台風19号による被害とこの周辺も浸水被害が。この年から児童クラブへの支援開始。 以来、8年目。当時の子供達は、高校生や中学生に。当時を知る子供達はもう卒業しているが、今も子供達に当時のことやさとやま交流館のことを語り続けていただいていた。 08:00頃から子供達が,登園。もみじ饅頭40個をプレゼント。子供達から、お手紙のプレゼントをいただいた。 早速子供達がもみじ饅頭を試食。感想は? グー! との事。子供達の笑顔に、来て良かったー。
2026年5月30日土曜日
福島県まで来ました。
5月29日15時に広島県三次市を出発。尾道道、山陽道、新名神と走り、20時過ぎ土山SAで夕食、その後伊勢湾岸道と行くところ、なんと湾岸道が通行止めに。そのため、東名阪道、名古屋第二環状道、東名道と初めてとおるルートを体験。新東名に入り、携行した軽油で満タンに。その後、静岡あたりで、トラック事故のため、大渋滞。結局、1時間のろのろ運転。 その後は、圏央道から常磐道と順調に。そして5月30日5時30分関本PAに着。外はもちろん夜は明け、暑いくらい。目的地、いわき市新川まであと30分。 ここまで、部谷さん、三竿さん、盛谷さん、中野さんで、トイレ休憩のみの交代運転。皆さんご苦労様でした。 これからいよいよいわき市内です。
2026年5月29日金曜日
あなたの笑顔が見たい
今回もたくさんの応援物資をいただきました。 いつもご支援いただいている藤本さんから、フルーツゼリー120個。庄原銘菓 乳団子100個も用意しました。これらは、まだ仮設住宅で避難生活が続く輪島の皆さんと開催する31日の茶話会で、食べてもらいます。もちろんもみじ饅頭とブルーベリーケーキも輪島にもたくさん持って行きます。 能登は、令和6年1月の発災直後の1月から数えて10回目になりました。 仮設には、10回毎回お会いしている方も大勢おられ、今回の再会も楽しみです。今回は,さらにこれからの食中毒シーズンを前に、携帯式の消毒剤を300組ほど持って行きます。 多くの方からご支援を頂きました。 広島の藤本様、有井様、庄原の福間様ありがとうございました。皆様の気持ちが被災者の方の元気に繋がるように、活動してきます。
あなたの笑顔が見たい
2026年5月22日金曜日
あなたの笑顔が見たい 来週出発
いよいよ5月29日来週東北と能登に向けて出発です。 5月29日三次出発 5月30日09:00〜福島県いわき市新川にて、NPOふるさと新川をきれいにする会との震災翌年の2012年から続くさとやま交流館との合同草刈花植え。か今回は、車で行く5人に、飛行機で仙台経由で参加する女性4名。さらにJRで三次から参加の女性1名の合計10名が広島さとやま交流館から参加します。震災から15年、今回東北支援から続く活動は35回目。賑やかに交流ができそうです。 福島県の皆様、よろしくお願いします。 5月31日朝07:00いわき市出発 16:00石川県輪島市マリンタウン仮設住宅に到着 16:30〜仮設の皆さんとお茶とケーキにもみじ饅頭で茶話会交流。 昨年12月以来、約半年ぶりの再会。能登半島地震の支援活動も今回でちょうど10回目。できることをやってきた。被災者の方にとっては、まだまだ足りない物や困り事ばかり。全国に皆さんで少しずつ応援ができたら良いなと思います。だって他人事ではないんですよ。自分がいつ大きな被災に遭うかわからない。世界中どこにも絶対安全と言う場所はない。他人の痛みはわからないと言えども、自分が痛みを感じる前に、少し早めに痛みを少しでも想像できるようになれば、世の中は少しは変わるかもしれない。持っと住み良い国に。 あなたの笑顔が見たい
2026年4月14日火曜日
東北草刈花植え交流&能登交流会
蘇れ、「火の国」熊本
10年前の今日、2016年4月13日21時26分震度7の大地震が発生。二日後の16日にも再度震度7の大地震。熊本城や阿蘇神社など、そして多くの住家で大きな被害が発生。学校や公共施設へたくさんの被災者が避難。発生が夜でもあり、寒い避難。 さとやま交流館は理事長がすぐに現地入り。家々が倒れた光景に涙した。現地の西原村と調整し、5月21日に柳生理事長の「蘇れ火の国熊本」の大号令の元、三次から13名炊き出しに出動した。 21日西原村山西小学校に到着。土曜の夕食のたきだし。300食の広島牛の牛丼。 広島牛肉、玉ねぎ、にんじんなどもたくさん具材をきり、ご飯も広島のコシヒカリ。6升だき炊飯器や大鍋で。良い香りに、体育館から、様子を見に外に出て来られる方もだんだんと多くなり,自然と会話がすすんだ。 18時頃から配膳開始。5月の熊本は、もう結構暑く、暑い牛丼はどうかなと思いましたが、思わぬ好評。肉も美味しく,野菜が一杯、汁だくの田舎の牛丼が、みなさんの胃を満足させてくれたようです。昼は、弁当ばかりとのことで、汁物がなく、汁たくさんが嬉しいし、野菜がなかなか食べれないようで、肉よりも野菜が人気なほどだった。 暑い牛丼で少し汗をかいてその後がかえって涼しい面もあったようです。 翌日は、西原中学校で同じように牛丼炊き出しして、一旦広島に帰った。その後も、仮設住宅が出来てからも何度か西原村を訪問した。その時のご縁は今も大切にしている。 地震はいつ来るかわかりません。さむいときもあれば、暑い時もある。 これから暑い夏がやってきますが、夏の避難も少し頭に入れておきたい。
2026年3月12日木曜日
F1 東電福島第一原発
原子炉を6基を持つこの原発は、一時は世界最大の原発と言われたこともあるようだ。
ちなみに、中国地方で一つしかない島根原発は、原子炉2基(128万kw)。島根原発では、今でも稼働に対する心配は、周辺地域に根強い。
メルトダウンにより、多くの放射能が飛散。双葉郡をはじめ周辺のたくさんの方が、避難されることとなった。
15年経った今も、帰還困難区域が残り、除染作業で出た、汚染土は、福島第一原発の周りを囲むように広大な中間処理施設が。
これは、現地でも説明を受けましたが、県外処分が決まっているがまだうけいれさきが決まっていないのだ。いま、原発の再稼働があちこちで始まっているが、事故以外の通常の,汚物処理も何もまだ決まっていない。次世代へのただの先送りだと言うことだ。
この現実にもっとスポットを当てる必要があると思う。若い人ももっと声を出すべきでは。
ちなみに今日ニュースで東電の人が言っていたが,第一原発の燃料デブリの取り出しは、15年か20年先からやっとはじめられるだろうと言っていた。
2026年3月11日水曜日
ある卒業生たちの歌
「群青」
この歌は、平成25年三月、地震、津波、原発事故で大きな被害を受けた南相馬市の卒業生と先生たちが、震災から2年後の今の気持ちを込めて自分らの卒業式のために作った歌です。
歌うたびに涙が出ます。
「ああ あの町で生まれて
君と出会い
たくさんの思い抱いて
一緒に時間(とき)を過ごしたね
今 旅立つ日
見える景色は違っても
遠い場所で 君も同じ空
きっと見上げてるはず
「またね」と 手を振るけど
明日も会えるのかな
遠ざかる君の笑顔 今でも忘れない
あの日見た夕日 あの日見た花火
いつでも君がいたね
あたりまえが 幸せと知った
自転車をこいで 君と行った海
鮮やかな記憶が
目を閉じれば 群青に染まる
あれから2年の日が
僕らの中を過ぎて
3月の風に吹かれ 君を今でも思う
響け この歌声
響け 遠くまでも
あの空の彼方へも
大切な すべてに届け
涙のあとにも 見上げた夜空に
希望が光ってるよ
僕らを待つ 群青の町で
きっと また会おう
あの町で会おう
僕らの約束は
消えはしない 群青の絆
「群青」
YouTubeなどでたくさん聞くことができます。
ぜひきいてみてきださい。
15年が過ぎて
この悲しみは、15年経っても変わらない。
被災地が未だ悲しみ消えぬこと、そして未だに、元の生活には戻っていないことを、日本中の人に感じ取ってほしい。
私達は、今年も5月29日から、東北へ出発します。
現地は、被災後から、大きく復旧したように見えるところもあれば、浪江町や双葉町など、まだ、被災後何も変わっていない無人地域もあります。
どこも被災前より大きく人口減少。日本の減少速度より、減少率は遥かに高い。人口減少だからと流しては行けない。
せめて、今日は一日、震災を思い起こす日にしよう。
2026年2月5日木曜日
おめでとう EGGさん 国際交流奨励賞受賞
EGGさんは、災害被災地支援でこれまでも、さとやま交流館の活動にもたくさんのご協力していただいています。
一昨年の能登半島地震の時にも、会に集う世界各国の皆様から多大なる支援物資や支援金を預かり、活動を後押ししていただいています。
これまでの地道で継続的な素晴らしい活動に敬服します。
今回の受賞、誠におめでとうございます。
2026年1月17日土曜日
阪神・淡路大震災から31年
1995年1月17日(火)午前5時46分兵庫県南部、淡路島北部を震源としたM7.3、初めて最大震度7となった兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生した。都市部で平日の日の出前の早朝に起きた。
大都会で起きた地震は、建物の倒壊、火災、停電、断水、ガス停止、エレベーターの故障、地下鉄の陥没、ビルの倒壊、高層ビルの損壊、そして高速道路の倒壊、被害は広範囲で甚大でした。
あれから31年。寒い1月。避難所の体育館はもちろん、学校の教室や廊下にもいっぱい避難されていた様子は、忘れることはできない。
その後、東日本大震災、熊本地震、そして能登半島地震と大きな地震は、30年間で何度も起きています。
地震は、いつ、どこで起きるかわかりません。自宅で電気がなくても水道から水が出なくても、ガスが出なくてもしばらくは生活出来る備えをしておきたい。
2026年1月14日水曜日
能登の報道
2026年1月13日 中国新聞に、さとやま交流館の活動が掲載されました。
12月5日〜12月7日の9回目の能登半島地震被災地支援活動の同行記。
さとやま交流館の始まりから今回の活動までを上手にまとめて、能登の現状を伝えていただきました。
客観的な現状の報告ですので、是非少しでも被災地に心を寄せていただけたらと思います。
2026年1月6日火曜日
令和8年のお正月
1月6日10時18分島根県東部を激震が襲った。緊急地震速報が,かなり長い間鳴り響いた。震度5強。強い地震だ。さとやま交流館の本拠地庄原も震度4。中国地方はもちろん四国香川県や愛媛県でも震度4。東は、長野県諏訪湖、西は佐賀県や長崎まで揺れた。
地震はいつどこで起きるかわからない。
大きな被害がないことを。
そして日頃から、こまめな燃料満タンや保存のできる食品の備蓄、そして携帯トイレの準備も平時のうちにしておこう。我々も能登半島地震の被災地支援で、自分らのために準備した。次は自分が被災することも考えて準備しよう。














