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2025年1月17日金曜日

阪神大震災から30年 その2

 広島からも多くのボランティアが神戸や大阪に駆けつけた。
 さとやま交流館の前理事長の柳生さんは、単身背中にお餅や米、ブルーシートなどをいっぱい背負って、歩いて大阪の知人のところに行った。交通が完全にシャットダウンしている中で、柳生さんが、来てくれたことに、その方は感激した。(朝ドラのおむすびの結のおじいちゃんみたいだ。それ以上だろう。)
 もう一人、盛谷も一人神戸へ向かった。当時、ボランティアという概念は、まだ今のように一般化しておらず、職場でボランティアの話をしても当初あまり好意的でない上司もいた。お前の仕事は、ここの今の仕事をする事だと。自分の仕事が大切な仕事だというのはわかるが、こういう時には、みんなが少しずつ仕事を止めて、応援しないと支援に必要な人は集まらないと感じた。
 2月に入ってもまだまだ大変な状況は変わらない。そして、好意的でなかった上司が行くなら、気をつけろ、これで電話報告せよとテレホンカード20枚くらいみんなで集めて渡してくれた。  
 妊娠中の妻も背中を押してくれた。家族や職場など周りの人の理解とご協力あってのボランティア、とその時にわかった。
 周りの理解があると、ボランティアに行くにも元気100倍、自分を後ろで応援してくれていると何をするにも、怖いものは無くなった。
 2月10日朝、大きなリュックサックいっぱいに水やサタケのマジックライスなどの食料、コッヘル、キャンプ用のガスコンロ、シュラフなどを詰めて東広島から新幹線で出発。姫路から山陽本線で神戸駅まで行けた。神戸から東は不通だ。
 神戸の手前、長田駅周辺で、焼け野原になった街を見て、被害は一体どれほどなのかと心が引き締まった。
 神戸に着くと地図を頼りに
日本赤十字社兵庫県支部を目指した。そこの倉庫に設けられた特設日赤ボランティアセンターでボランティア登録。その日は、センターの中を手伝ったり、アマチュア無線の免許とトランシーバーを持って来ていたことから、無線によるボランティアとの連絡をする有資格者としての登録をした。

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