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2025年1月17日金曜日

阪神大震災から30年 その3


 翌日2月11日は、700人の避難者がいる小学校へ行った。
 学校の中は、体育館内はみんな全く隣の人と隔てる壁はなく、今で言うプライバシーは全く無い。
 校舎にはいると階段以外、廊下にもいっぱい、各教室も被災者でいっぱいでした。(朝ドラおむすびの震災時の描写はそのものだと感じました)
 玄関で支援物資や食事のお弁当などの受付があり、1日3回朝のパン、昼のパン、夜のお弁当が700程運ばれてきて、それを体育館や各教室へ配った。
 玄関横の倉庫には、配布前の支援物資がうず高く積まれていた。
中には、食料もあり、生ものもあった。各避難所に一人配置されている神戸市の職員に聞くと数が全員分無いから配れないとのこと。じゃあ、いつ配るのかと聞くにと、きっと配れないだろう、との事。それはせっかくの美味しい食材を棄てることを意味します。
 市役所の人は、平等が厳しいと思うが,我々ボランティアは、もう少し自由度があると認識していたので、ボランティアの判断でカステラのようなものなどを子供、高齢者を優先にして配り、足らなくなった人には乾パンやビスケットなどを配った。ほとんどの人は、それを喜んでくれたが、一部の人からクレームが出た。元気な40代50代の男性方だ。なぜ、私は乾パンなのかと、ボランティアが理解を求めて一生懸命説明したが、理解得られず、ボランティアの女の子は泣き出した。ボランティアセンターとも相談し、一旦その避難所からボランティアを引き上げた。被災者の方で、まとめ役を選んで欲しいとお願いした。
翌日1日は、その避難所の支援は休止した。その日の夕方、避難所からセンターに、まとめ役を選んだと連絡があり、翌日から支援を再開。その後は、ボランティアと被災者のまとめ役で一緒に考えて物資の配布などが効率的に、棄てることなく、配布できるようになった。
 避難所には、毎日、知り合いや家族がここに避難していないか訪ねて来られる方がたくさんいました。
 そして子供たちと遊んでやるのも、大切な支援でした。

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