●義援金・救援金の募集について
西城さとやま交流館の東日本大震災の支援活動はまだまだ続きます。
皆様の気持ちを被災地に届けたいと思います。
どうかこれからもご支援をお願いします。
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2024年3月31日日曜日

あなたの笑顔が見たい

 明日で、元旦の能登半島地震から3ヶ月。

もう3ヶ月。被災地はまだまだ・・・

BS3chの石川県のNHKやインターネットの各自治体のHPなども毎日見ていますが、2月までは、水をはじめ、支援物資の募集がありましたが、現在は市中で、確保できるようになり募集が休止されています。これは、お店や経済が回って良くなっていることです。

ただボランティアにはついては、いまだに石川県のボランティア登録して、メールで来てくれと通知が来た時だけ行くと言う流れが変わっていない。3ヶ月経ってもボランティアが少ないと、言われているが、今のようなやり方では、誰も行かなくなるのだはと心配します。

これまでの,ボランティアは行ける時に行きたい時に行っていたので、できましたが,そうでなくなり、待ちが続くと気持ちが下がってくる気がします。

さて、さとやま交流館。

3月は活動できませんでした。災害担当が鳥インフルエンザ殺処分に駆り出されたり、公務員が多く年度末で、動けませんでした。

今日、輪島の方々とお話しし、4月20日に2次避難の方々なところへ行くこととしました。

広島にいても、ニーズも詳しい状況も,わかりません。

今回は、輪島の区長さんから、広島から話しをしに来てくれるだけだみんな嬉しいと言っていただいたので、とにかく話をしに行きます。

だんだんと道が通じて、一部損壊の家などは、修理して帰宅される方もおられるようです。

明日家に帰られるかたもおられるとのことで、この方々のところの片付けなり、これからは草刈りなども大変になります。

私らは、チェンソーでも草刈機でも何でも持って行って作業できるメンバーが揃っています。

石川県ではそんな人の募集はされていませんが、4月20日には、こんなことも伝えて、困っていること、これから困る事を少しでも手伝いできるようにお話ししてきたいと思います。

2024年3月16日土曜日

鳥インフルエンザ殺処分

今日、災害支援担当会員の一人が、広島県内で発生した鳥インフルエンザの殺処分作業にいったそうです。
暑い中、防護服を着てエサの処分作業をしたそうです。罪のない鳥たちを殺処分するのは、鳥と目が合った時に「今から私をどうするん?」と聞かれているようで、心が痛もとのこと。
早い終息を祈るばかりです。

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北陸新幹線 金沢〜敦賀間開業

今日、令和6年3月16日、北陸新幹線の金沢〜敦賀間が、開業しました。
本来なら、福井はもちろん、能登でも同じように観光ブームに乗って、盛り上がっていくところです。でも、1月1日の震災により、能登を中心に広い範囲で被災、これから右肩上がりで復興していかねばいけません。
小松や加賀や福井など周辺地がまず元気になる事は大事です。
被災者を受け入れている旅館もたくさんあります。こんなにたくさんの被災者を旅館で受け入れているのはこれまでの地震とは違っていると思います。そんな旅館を,みんなで応援しましょう!
ボランティアでなくて良いので、旅行に北陸に行きましょう。

ps:ボランティアについては、またプラグで募集します。
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2024年3月12日火曜日

輪島市深見町

 昨夜3月11日の報道ステーションで、輪島市深見町の現在の状況や今後の復興について話し合われているところが放映されました。

1月以来さとやま交流館が、支援させていただいているのが、深見町の皆さんです。2月にお会いした山下総区長も悩まれていました。これから始まる復興をどう言う形で進めるか、まずは地域が一つにまとまって、みんなで情報を共有しながら、前に進んでもらいたいと願うばかりです。

報道ステーション 輪島市深見町で検索したら見れると思います。

2024年3月11日月曜日

東日本大震災から13年

東日本大震災のあの大きな津波の緊急テレビ放送を見てから、今日で13年。
あらためて、亡くなられた方々、御遺族の方々にお悔やみ申し上げると共に被災された皆様にお見舞い申し上げます。
当時広島県北では、公立中学校の卒業式の日だった。
夕方の謝恩会に向けて準備をしている時、消防士の保護者に 、本部から待機指示が出て、やっと大地震が起きたことを知る始末。テレビを付けてびっくりしたのは忘れられない。
翌日から、支援物資集めを行い、柳生前理事長が、8トントラックをチャーターして、3月23日に出発。翌朝4時に、福島県棚倉町へ到着。そこから、棚倉町の方の案内で、双葉郡楢葉町が避難しているいわき市中央台南小学校へ。
そこでは「民間団体,民間人で直接ここへ来られた方はまだいません」と。
持って行った1トンの水が,特に喜ばれた。当時、原発事故により、水が飲めなくなり、水は喜んでもらえた。
それからほとんど毎月、福島、宮城等で僅かではありますが支援活動を行いました。行く度に復興の兆しを感じ、ハード面の復興には時間はかかったものの敬服します。しかし、元の生活の復興と言う面では、地域や人によって大きく違うなと思います。
活動ができたのは、広島内外の多くの方の支援があったこそ。活動を支援してくださった方々に本当に感謝します。
支援から交流に徐々に移行する中、コロナ禍で交流が停滞していましたが、昨年5月にはる32回目の福島訪問をする事ができました。まだ仙台の荒浜や南三陸、岩泉の皆さんのところへは2019年以来、5年程行けていません。
皆様とのご縁をこれからも大切にして,交流訪問をしたいと思っております。
これからも広島の隣の友人に会いに行く気持ちでお邪魔します。
あなたの笑顔が見たい
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2024年3月1日金曜日

あなたの笑顔が見たい

被災から2ヵ月が経ちました。ニュースを見るといまだ大変な状況は変わらず、ボランティア不足。

2月20日の活動から 早10日。次の支援、どんなニーズに何をするか、いつ行くか、検討中です。

田植えの前段階で種まきの準備や椎茸の駒打ちなど百姓仕事も始まり始め、これから生活自体が広島でも忙しくなります。被災者の皆様、支援者の皆様、今しばらくお待ち下さい。

必ずまた次の活動案内をします。

2次避難受入先 法師旅館

中は、もっと風格があります。

2次避難受入先 法師について

 現在、能登半島地震被災者の2次避難の受入をされている粟津温泉の旅館法師について

名称 法師

開業 718年(養老2年) ・・・現在2024-718+1=なんと創業1307年目 すごい

一時期は、世界で最も歴史のある旅館としてギネス世界記録に登録されていました。2011年に、705年創業の他の旅館がある事がわかり、ギネスにはありませんが、その創業の歴史は変わりません。

718年(養老2年)、泰澄大師が粟津温泉を発見した時に法師 泰澄大師の名により雅亮法師(初代法師善五郎)が源泉の管理を任されたものだそうです。旅館の名称も泰澄大師から授かり、北陸最古の湯治湯の温泉の旅館として、現在まで1300年以上続いているそうです。

先代が、第46代法師善五郎。そして、今は娘さんが、47代目当主として、奮闘されています。

2016年(平成28年)11月には、宿泊棟の一部と玄関棟が、国の登録有形文化財に指定されました。文化庁第17-0263〜0264号指定。

こんなすごい法師さんが今は被災者支援に頑張っておられます。

一般のお客様ももちろんお待ちされています。

全国の皆さん、北陸で頑張っておられるこのような旅館も泊まって応援しましょう!