●義援金・救援金の募集について
西城さとやま交流館の東日本大震災の支援活動はまだまだ続きます。
皆様の気持ちを被災地に届けたいと思います。
どうかこれからもご支援をお願いします。
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2024年2月25日日曜日

ボランティアの受入が進まない現状に思う事

 ボランティアについて思う。

阪神淡路大震災との時、最初の1ヶ月は、神戸市のボランティアセンターというものは無く、NGOや宗教法人などの各種団体が、ばらばらで、でも活発に活動していた。私は、発災後二週間目から神戸中央区の赤十字ボランティアセンターに登録して二週間ほど2月18日まで活動した。

様々なニーズが,直接ボランティアセンターに入ってきて、それをボランティアの中からえらばれだ6名程度のリーダーが、明日の活動の調整をしていた。リーダー達は、朝のボランティアの受付、指示、明日の調整、ボランティアの帰着確認、明日の指示内容の確認をし、センター近くの施設でみな寝袋で就寝。朝は、8時には、集合し、今日のグループ分けと作業指示。私もリーダーの一人として活動した。

連絡用にアマチュア無線のトランシーバーを渡し、センターと常に連絡が取れるようになっていた。無線のセンターでは、全国の救急車のナビゲートも担っており、24時間運用されていた。

行政の職員なしでも、効率よく動けたと思っている。避難所に行くと行政職員が一人、後は我々ボランティアが5〜6人。初めて行った避難所は、倉庫に、食料や物資が山積み。中には、生もので、今なら美味しく食べれるものも。市の職員に聞くと全員分が無いから配れなとのこと。それじゃあこれは捨てると言うこと?何をしているんだとボランティア6人で配る事に。500にん余りの避難者に対し数は100余り、高齢者や子供優先で配布。なかった人には、生もの以外の食料を配布した。案の定苦情が来た。「.なんでわしのが無いんか」数人の4〜50代の男の人だった。ボランティアの女の子が説明しても聞かず、女の子は泣き出した。「こんなことでは、どんなに物資が届いても配布もできないし、被災した人も少しは考えて欲しい。このままでは私らはお手伝いできない」何人かの方にお話しし翌日は、その避難所には行かなかった。翌日夕方、ボランティアセンターへ避難者で話し合ったので、明日から来て欲しいと連絡があり、翌日から再度その避難所にお手伝いに行った。避難者の中でリーダーが決められ、数が足らない物は優先順位を付けて配布して行く事も理解を頂いた。

こんなやりとりを全国から来た初めてのボランティア達が、やれたのです。いま、行政や社協がコントロールするようになって、数が足らなくても優先順位を付けて、配布すると言う事が、効率よく出来ているのか疑問である。

そもそも数が満たない物は募集していないと言う。と言うことは,余った物は捨ててるのか。

もっと、行政は,ボランティアを信頼して、リーダーとして活用すべきです。全国には、それが出来るボランティアがわんさかいます。いまだに、ボランティアを受け入れが進まない状況に、提言します。ボランティアセンターをボランティアに任して欲しいと。


2024年2月18日日曜日

あなたの笑顔が見たい 能登半島地震被災者支援2回目終了

2月18日午前0時 広島 三次へ到着しました。
16日21時に出発して、27時間。七尾への水の運搬、小松市粟津温泉法師へ避難の輪島市の皆さんへの防寒着と文房具などの支援活動を無事完了しました。
三次市中心部 巴橋にて。

2024年2月17日土曜日

あなたの笑顔が見たい

文房具類など
これにさらにティッシュボックス、三次のキャクター霧子ちゃんのポケットティッシュ、三次の観光エコバッグなどをセットにして、二つの旅館に避難の全世帯に配布しました。

あなたの笑顔が見たい

あやねちゃんへのプレゼント
緑華苑の山下総区長さんへ文房具類など手渡しました。

あなたの笑顔が見たい

1月の支援の時に、体に合う防寒着が無く、寂しい思いをさせてしまった小学生のあやねチャンは、金沢へ転校したにも関わらず、わざわざお母さんと法師へ来て頂きました。金沢の向さんと盛谷より文房具一式と防寒着を渡すことができました。一カ月間心残りだった事も、逆に元気をもらいました。
深見町の山下総区長さんご夫妻とも初めてお話ができ、今後の細く長い支援を,お約束しました。
また隣の緑華苑の被災者の方々にも文房具をお渡しし、防寒着は後で選んでもらうようにお願いしました。喜んでいただいたのが何よりでした。

あなたの笑顔が見たい

ひとときの笑顔がひろがりました。

あなたの笑顔が見たい

ひとときの笑顔がひろがりました。

あなたの笑顔が見たい

12時前から、2次避難者の方々が、続々と食堂へ来場。1月20日から再会の輪島市深見町の方々とは、すぐに会話が弾む。今回新たに文房具類などを持参したことを告ると「こういうのがあったらよかったのよ」ととても喜んで受け取って頂きました。また、前回以降に新たに2次避難された輪島市町野町の方々には、防寒着もプラス。
楽しそうに選んで頂き,避難のしんどさを少しでもまぎらわせていただけたかとおもいました。
防寒着やシャツ、大きなバッグにエコバッグ。笑顔が溢れた食堂に、旅館の仲居さんも笑顔に。

あなたの笑顔が見たい

朝8時15分七尾市役所を出発。
快晴の天候の中、次の目的地、小松市粟津温泉法師へ。
能登里山海道を南下。美しい白山の雪山を左に見ながら北陸道も南下。
予定通り11時30分法師到着。
ここで、新たなさとやま交流館の仲間、金沢の向さんも合流。
若女将は、チェックアウトのお客さんの送り出しやドイツからの1,300年の歴史の取材など大忙し。
若女将とはアイコンタクトで、館内へ。防寒着113着、文房具類など50セットなどハイエース満載の支援物資を食堂へ搬入。

あなたの笑顔が見たい

2月17日朝5時45分七尾市中心部に無事到着。
飲料水受入の指定時間9時まで時間があるので、能登の名湯和倉温泉まで走ってみた。道路は補修をされ、建設業者さんや県や市の職員さんのご苦労に頭が下がります。
和倉温泉では、一見、大丈夫そうに見えるものの中には、被害のひどいものもありました。
08:00 七尾市役所の職員さんらが、土曜日の本来は閉庁日であるが、続々と登庁。1時間指定時間より早いが、さとやま交流館が到着したことを告げると勤務時間前にも関わらず、対応頂き無事飲料水240リットルの引き渡しが完了。断水も少しずつ回復しているとのこと。職員さんのご苦労を,労い七尾を出発し、つぎの目的地小松を目指した。

2024年2月16日金曜日

能登へ向けて出発しました

2月16日21:00 予定通り能登へ向けて出発しました。
今回のメンバーは、三次市三和町きの細美さん、三次町の三竿さん、前回も参加の広島市の中野さん、同じく庄原市の盛谷さんの4名です。4名とも、東北や熊本へも何度も行った熱い心の持ち主。頼りになります。
安全第一で行ってきます。
広島の皆さんから託された飲料水や防寒着、文房具なども満載しました。
明日2月17日は、まず09:00 七尾市役所本庁舎へ飲料水240リットルを運びます。僅かではありますが、使ってもらえたらと思います。
その後、小松市粟津温泉の法師へ2次避難されている輪島市の方々のところへ向かいます。前回1月に会った方とは、再会となります。
明日、色々お話ができたらいいなと思います。

てんこ盛り

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出発前

2月16日広島は夕方急に寒くなってきました。能登も寒くなるんだと思います。少しでも力になれば良いなと思います。
さとやまハイエース号は、今回も変わらず、てんこ盛りです。
もうすぐ出発です。

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やっと準備完了。今晩出発します

今晩、やっと2回目の出発です。

昨晩、飲料水240リットル.防寒着113着、文房具類50セット、エコバッグ50、大きなバッグ50、その他、ソックスやマフラーなどの小物を積み込み完了しました。タイヤハウスの余裕がないほど満載です。

前回1月20日から、1ヶ月、かなり時間があると思っていましたが、あっという間に今日になりました。

夜、三次へ集合です。

2024年2月14日水曜日

支援活動日程決定

 13日、七尾市役所様と調整し、2月17日土曜日朝9時に七尾市役所本庁舎へ飲料水の搬入が決まりました。以前は水タンクも募集されていたと思っていたので、持って行こうかと思っていましたが、現在は,ペットボトルの飲料水のみ受け入れとのことだったので、ペットボトル飲料水のみの搬入にしました。BS3チャンネルを見ると七尾市の支援物資の配布は、毎日水一世帯一箱とでています。大変なんだと思います。わずかですが、一日20世帯分持っていきます。

水の搬入が完了後、小松市の法師へ向かいます。

お昼前には、到着見込みです。

書類作成や記録をするのに必要な文具や裁縫道具、ノート、クリアファイルなどをセットにして、各家庭毎にお渡しします。

前回、1月に渡せなかった方々に、防寒着も渡します。昨日は暑かったようですが,まだまた寒いひもつづきます。活用してもらいたいと思います。

今回2回目なので、深見町な方々に再会できるのも楽しみです。

今回は少しゆっくり話をしたいと思います。

皆さんもうすぐ行きますよ。

2024年2月12日月曜日

仕分け作業

2月12日10:00〜
一枚一枚丁寧に確認選別し、サイズ票をそれぞれに付けて、数を数えながら、箱詰めしました。 
みなさん、綺麗な良い防寒着ばかりを出して頂いていました。
柳生さん、森宗さん、水谷さん、神川さん、盛谷さん朝と夕方は寒い中、昼は炎天下本当にお疲れ様でした。

支援物資仕分け作業完了

 今日朝10時から、さとやま交流館三次事務所で防寒着等の仕分け作業開始。

メンバーは、柳生さん、森宗さん、水谷さん、神川さん、盛谷さんの5人。

前回の経験から、一枚一枚丁寧に、痛みや汚れがないか確認しながら、種別サイズ分け。

19時にやっと全ての仕分け完了。今回も100着あまりを持っていきます。

老体ハイエース号に仮積み。前回同様かなりの量です。

あとは、帰りの軽油80リットルと水240リットルと水タンク16個を満載し、16日夜に出発します。

法師さんがんばれ!応援します!

 記事のとおりです。

今は、2次避難の受入は、元々2月末から3月末を期限として、県と旅館が合意して始めたようですが、道路の仮復旧や仮設住宅の建設、水道の復旧等がまだまだの中、法師さんらがいち早く決断されました。

さとやま交流館が1月に、訪問した時に、被災者の方が、防寒着を笑顔で受け取られた後、「わしは帰るところがないよのお。今からどうすりゃあええかのう」(言葉は能登の言葉ですが、広島弁に訳してます)と、ぽつり誰に言うでもなく、独り言のように話されて立ち去られたのを忘れることができません。

法師さんの支援の熱い気持ち、よくわかります。

でも、営業的には、とても厳しいのだと思います。

法師は、西暦718年開業、創業1300年を越す北陸最古の旅館で、ギネスにも載ったこともある名湯です。建物は国の登録有形文化財に指定されて、管理も大変です。営業経費は相当なものだろうと思いますが、記事によると国からの受入の補助金は、一泊3食で一人1万円のみ。最近のビジネスホテルでも3食でこの値段は無いだろうと思います。ましてや法師は、建物の維持や温泉の管理なども含めて、赤字覚悟の判断だと思います。さとやま交流館は、法師からいただいたご恩を忘れません。

さとやま交流館は、被災者の皆さんを支援すると共に、微力ながら法師を支援します。

法師さんがんばれ!応援します!