●義援金・救援金の募集について
西城さとやま交流館の東日本大震災の支援活動はまだまだ続きます。
皆様の気持ちを被災地に届けたいと思います。
どうかこれからもご支援をお願いします。
ここから→振込み先

2016年3月12日土曜日

東日本大震災5年

 
=震災5年目・・・復興なんて本当にあり得るのか=
 
私が最初に向かったのは、東日本大震災から9日目、支援物資の調達、支援経費の工面、
一部の三次市民から心ないバッシングを受けながらも福島棚倉町の知人を頼り、
吹雪の中央道を走りました。それから5年、行き当たりばったり、ちゃらんぽらんながら
岩手〜宮城〜福島、何度も何度も縦断しました。単独でハンドルを握った時もありました。
被災者の心の闇は深く自分自身に問い掛けても答えは出ませんp(´⌒`q)
 
東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故発生から今日で5年なりました。
 
国の「集中復興期間」は今月で終了しますが、全国で17万人余りが避難生活を余儀なくされ
東北などの被災地では、復興の遅れが大きな課題になっています。
東北の復興無くして、日本の再建無し》=権力(施政者)の言葉の軽薄なこと!!!
 
《保育所落ちた。日本死ね!》=匿名ブログには対応しようにも対応できない、
27000人の署名を受けとった、厚労相、総理言葉の責任はいかほどに!
議員会館、議員宿舎・・・・・・を保育園にしたら、いかがでしょう?

1 件のコメント:

  1. ドジョウすくい見習い2016年3月12日 21:38

     津波被災地は、まだまだ住めれる状態ではありません。(昨年12月に福島県いわき市から気仙沼市まで柳生さんらさとやま交流館一行の一員として車で走ってみて感じます。)
     でも、復興が進んだ。復興が進んだというコメントのみが、行政府やマスコミからこの間ずっと聞こえてきました。現地でのそのギャップは、相当あります。柳生さんは、いつも、東北東北といわれて、三次や庄原の人のなかには煙たがっている人がいるようですが、その言葉は核心をついているといつも思います。
     では、いったい広島から何ができるのか。私に何かできるのか。
     現地では、行方不明者の捜索はボランティアで細々ながらつづけられていますし、元の軌道に戻れていない高齢者の農業の手伝い支援いくらでもあります。
     柳生さんと一緒に東北を訪問して思うことは、何もしなくてもただ、広島から福島へ訪問するだけでも、元気を届けられるということです。柳生さんは、3月震災後すぐに、県北地域の有志からの支援物資を大型トラックに満載し、運転手さんと二人で直接被災地に入り、以来ずっと25回にわたる訪問を行い、東北の方々と大きな信頼関係を築かれました。一緒に歩くだけで、1000km以上離れた東北の皆さんが身近な人に感じれます。そしてその方々が、今も被災前の生活には程遠い 状況だということです。
     5月には、また東北へ草刈訪問される予定と聞いています。ぜひお読みの皆さんも一緒に行ってみましょう。
     マスコミは、3月11日前後は集中して報道されますが、4月にでもなれば、また紙面から消えると思います。でも決して復興が済んだのではありませんから。
     

    返信削除